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日本海軍記念日

本日5月27日は日本海軍記念日です!
1905年(明治38年)5月27日、東郷平八郎大将率いる我らが日本連合艦隊とロシア帝国海軍バルチック艦隊との間に「日本海海戦」が勃発しました。結果はご存じのとおり、日本側が小艦艇3隻沈没、ロシア側ほぼ全滅という世界の海戦史上稀に見るパーフェクト勝利でした。この海での大勝利によって、日露戦争の趨勢が決定的なものになりました。
当時の日本はまだ明治維新から40年足らず、国力はロシア帝国の1/10程度でした。大国ロシアにとっては極東での局地戦に過ぎず、シベリア鉄道での増援・補給にまだまだ余裕がありましたが、日本にとってはそれ以上戦争が長引くとマジでヤバい国力ギリギリの状態で、弾薬の補給もままならないほどでした。
しかし、この海戦での完勝によってロシア側の戦意をくじき、和平交渉の席に着かせる大きなきっかけとなりました。
連合艦隊の勝因はいろいろありますが、自国の鼻先で訓練も艦の整備も万全の状態で迎え撃った日本と、地球3/4周(3万キロ以上)の過酷な大航海の果てにそのまま戦闘に突入したロシア側では勝負になるはずがありません。マハン流の地政学で説明すれば、シーパワー国家・日本とランドパワー国家・ロシアが海で戦えば当然日本が勝利するわけで、連合艦隊は勝つべくして勝ったといえるでしょう。ただし、広大なハートランド(大陸中心)を持つロシアを完全屈服させることもまた不可能と言えます(これは日中戦争で証明されました)。
むしろ、戦艦8隻(日本の2倍)を中心とした40隻近い大艦隊を北欧のバルト海から極東の日本海まで率いたロシア帝国海軍・ロジェストヴェンスキー提督をもっとリスペクトすべきです。実際、この海戦で負傷し佐世保の海軍病院に入院したこの敵将を東郷大将は丁重に見舞ったうえ、苦難の大航海を成し遂げつつも惨敗した悲運をねぎらいました。
「敗れた相手が東郷閣下だったことが私にとっての最大の慰めだ」
ロジェストヴェンスキー提督の有名なセリフです。
この日、日本海に散った日露両国の多くの将兵と今日が十三回忌となるZARD・坂井泉水のご冥福をお祈り申し上げます。

19.05.27 Monday|カテゴリー:趣味

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